映画『こうのとり、たちずさんで』 監督:テオ・アンゲロプロス

時間が制止し息を飲んだ。スクリーンに映し出されたマルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローの、その表情に刻印された悲しみと存在感。難民が肩を寄せ合って暮らす、殺伐とした冬の北ギリシャの寒村での二人の出会いと別れは、不条理にも愛する者たちを隔てる「国境」というこの映画の主題と重なる。

こちらの岸に花嫁がいて彼岸には同じアルバニア人の花婿がいる。村人の祝福を受けながら国境線となっている川を隔てて行われる結婚式が印象的だった。このシーンを独特な長回し映像で捉えたテオ・アンゲロプロスは、若い二人の間に流れる深い川(国境)を冷酷な存在として象徴的に描く。

この場面に音楽は流れない。言葉もない、村人は手にした民族楽器も奏でない、ただ、川の流れと森の小鳥たちの鳴き声だけが聞こえる。そこに突如として鳴り響く一発の銃声。散り散りにその場を追われる村人たちの背中を追うように短調な音楽が流れる。あまりに美しいこのシーンは、国境の悲劇を主題とするテオ・アンゲロプロスの怒りの表現でもある。

かつてギリシャ政界の期待の星といわれた政治家(マルチェロ・マストロヤンニ)は妻(ジャンヌ・モロー)の元を離れ失意の旅を続けるが、その初老の男の前にはペンキで引かれた太い国境ラインが横たわる。「異国に飛んで行けるか、あるいは死か」。精神と現実世界との混乱のなかに生きる主人公の自由への渇望は、その国境ラインを前にして、飛翔する瞬間のこうのとりのように立ちずさむ。

この作品で、旅と国境を重層的に描いたテオ・アンゲロプロスは、今年1月アテネ近郊の病院で永遠の旅についた。

◎こうのとり、たちずさんで(1991)
TO METEORO VIMA TOU PELARGOU
監督・脚本;テオ・アンゲロプロス

2012年8月 文:宇都宮

映画レビュー

『ヤコブへの手紙』監督;クラウス・ハロ

 

赦により刑務所を出たレイラの感情を失ったような表情と全盲の老牧師ヤコブの慈悲深い表情の対照性。そして、郵便配達人の朴訥として怯えたような人間的な表情。その三者の立体的な描写がフィンランドの田舎の風景をバックに実にいい。

郵便配達人はヤコブの元へ毎日のように手紙を届ける。神の救いを求める人々からの「ヤコブへの手紙」である。その手紙をヤコブに代わって読むレイラ。その一つひとつの手紙に聖書から言葉をひきながら答えるヤコブ。レイラはその言葉を手紙に書き返信する。この二人の単調なやりとりが、ヤコブとレイラの表情の対照性によって、周囲の紅葉のように深い味わいを醸し出す。

愛を知らないで育ったレイラと神の教えを伝えることが唯一の役割と信じるヤコブ。しかし、二人の元に郵便配達人から手紙が届かなくなったとき物語りは急速に動きだす。死期が迫るヤコブの変調。そのヤコブを冷たく見つめるレイラ。そしてレイラに向けられた郵便配達人の猜疑的な視線。

役割を終えたはずのヤコブが教会で眠っている。その目に天井から雨漏りした水滴が落ちる。最後の役割を神がヤコブに与えたのだ。
手紙が届かないことを知ったレイラがとった行動は意外なものだった。それはレイラがヤコブによって人間への信頼を取り戻しつつあることを示している。届いていない手紙を読むレイラ。その行動を理解したヤコブが立ち上がったときレイラは語り始める。自分の物語りを。

美しい物語りである。ラストは涙がとまらなかった。

文;宇都宮 保